中国での暮らしから地元・宇佐へ
火鍋の湯気とともに広がる、人と人の温かな繋がり
嶋田錠さん・絵菜さん(中国)
「今、帰らなければ後悔する!」
約15年にわたる中国での暮らしに区切りをつけ、錠さんが帰国を決意したのはお母さんのがん再発がきっかけでした。
大切な時間を共に過ごしながらどんな働き方ができるだろうか。
悩み、考え抜いた末にふたりが選んだのは「飲食店を開業する」という道でした。
地元に新しい風を吹き込みたい、中国で過ごした証をここに残したい、そんな想いを胸に、ふたりは動き出します。
そして、大分県北エリア初となる「火鍋専門店」をオープン。
異国で培った経験と、故郷への愛が重なり、ひとつの物語が始まりました。

料理が好き、その想いが原点
火鍋の本場、中国では街の至る所に専門店が並んでいます。「スープや具材はお店ごとに個性がありますが、共通するのはタレを自分で調合するスタイル。20種類ほどの調味料から好みの味を作るんです」と錠さん。
どのお店も美味しく、通い詰めても飽きることがなかったそうです。
一方、絵菜さんは「最初は魅力がわからなかった」とはにかみます。「でも彼が調合したタレで食べてみたら、驚くほど美味しくて!」
以降火鍋の虜になり、ふたりでその味を楽しむ時間が増えました。
現在運営しているお店では、絵菜さんは接客を、錠さんは厨房を担当しています。
帰国前は製造貿易業に携わっていた錠さんですが、日常的に市場で食材を選び、台所に立つのが習慣だったそうです。
「食材や調味料の味が頭の中に入っていて、これとこれを合わせたらどうなるか想像できるんです」
そう言いながら、手際よく料理を仕上げていく姿には、もともと料理人の素質があったのかもしれません。
飲食業の経験はなくとも、そうした日々の積み重ねが原点となり、今の仕事につながっています。
運命的な出会いが道を切り開いた
お店を始めるにあたって物件を探していたある日、ふたりはランチに訪れた店舗に心を奪われました。
「雰囲気があまりにも素敵でオーナーさんにそのままを伝えると、『今月で閉めるんですよ』と聞いて驚きました」その場でこれからの計画を話すと、面白がってくれて大家さんを紹介してくれました。
居抜きで店舗を引き継ぐ最高の形で物件が決まり、1ヶ月後に開業。
しかし、スタートは波乱の連続でした。プレオープンではオーダーミスや長い待ち時間が続き、絵菜さんは鍋をこぼして火傷を負うアクシデントも。
初日を終えた夜は「もう辞めよう」と涙を流したほど。それでも予約がある限り、続けなければという思いでした。
ご迷惑をおかけしたはずなのにクレームは一度もなく、むしろ「頑張って」とお客さまからは背中を押してもらうことばかり。
その励ましに支えられ、少しずつ常連さんも増え、娘の旭姫(あさひ)ちゃんが生まれてからは一層地域とのつながりが深まりました。




スタートアップへの支援
初めての飲食業で右も左も分からなかった二人にとって、前オーナーは頼れる存在でした。
仕入れ先や経営の基本を教えてもらい、さらに市役所商工振興課の勧めで参加した創業支援講座では、経営に必要な知識を学びました。
同じようにゼロから挑戦する仲間と出会えたことも、大きな財産です。
また、市の家賃補助制度を活用したことで初期費用の負担が軽減され、安心してスタートを切ることができました。
そして、ふるさと納税返礼品への出品は常連のお客さまからの提案がきっかけだったとか。
「地域の方の支えがあってこそ、今の私たちがあります」
と二人は口を揃えました。
地方で企業するということ
「宇佐は人とのつながりを大事にしたい方にはぴったりの地域です」と錠さん。
一人ひとりの顔を見て話ができる環境は心地よく、自然と輪が広がっていきます。
そうして今では心強い仲間もできました。
「自営業には不安がつきものですが、同じ飲食を頑張る仲間と情報交換をしたり、たわいもない話をしたりすると心が軽くなります」
2024年、開業から6年が経ちました。お客さまとの会話、仲間との支え合い、そのひとつひとつが暮らしを彩り、未来を広げています。
「いずれは海外で仕事をする夢もありますが、宇佐を拠点にその道を描いていきたい」と語る錠さん。
小さな火鍋屋から始まったふたりの物語は、宇佐の街に新しい風 を吹き込みながら、地域とともに未来を紡いでいます。
(取材/2024年冬)